「幸運」心書vol.38

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学生時代、政府の事業でミャンマーへ行くチャンスを頂いた。

20歳から29歳までの約10名でミャンマーへ行き、

草の根レベルでの国際交流を行うことが目的だった。


その当時のミャンマーは軍事政権下にあり、

外国人の出入国がまだまだ厳しい時だった。

「〝アウン=サン=スーチー〝さんの名前は絶対に口にしないでください。」

と、事前研修では何度も注意があった。


ミャンマーへは若者だけではなく、

引率の方が2人いらっしゃった。

責任者の方は高校の先生をされつつ、

ミャンマーとの交流を長年続けてこられた方だった。


ミャンマー国内では、ホームステイを3回した。

当時、外国人が入れなかったミャンマー中部の村へも行かせてもらい、

忘れられないぐらい貴重な時間を過ごさせてもらった。


ミャンマーでの滞在が終盤に差し掛かった頃、

責任者の方から食事の際に話があった。


「君たちは『自分がなぜ日本人に生まれたのか』考えたことがあるか?

 どの国の、どの家に生まれるかは自分では選べない。

 では、なぜ、君たちはミャンマー人に生まれなかったのか?

 『ミャンマーって良いところだな。住んでみたい。』

 と思ったとして、君たちは住める可能性がある。 

 また住んでみて嫌なら、日本へ帰れば良い。

 でも、君たちが出会ったミャンマーの人達が

 『日本に住んでみたい。』

 と思っても、なかなか難しいのが現実だ。

 生まれた場所によって、チャンスは既に平等ではない。

 じゃあ、君たちは日本人に生まれた幸運を

 どう生かすのか?

 どう世界へ還元するのかよく考えてもらいたい。」


責任者の方から頂いたこの言葉は若干21歳のわたしにはすごくずしっときた。

〝日本人だから得られるチャンス〝について

恥ずかしながら深く考えたことがなかったからだ。

ミャンマーから帰国した日、エジプトへ留学することが決まった。

わたしにとって人生が大きく変わる時期だった。


あの日以来、責任者の方からの問いかけは

わたしの人生のテーマの1つになった。

足りないものを数えるのではなく、

今自分が得られている幸運に目を向け、

誰か他の人の力になれるように努力する。

自分に足りないものばかりに目がいくようになったら

いつも責任者の方からの言葉を思い出すようにしている。