「アラブ革命」心書vol.48

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「なぜ、そんなにエジプトが好きなの?」

エジプトでよく聞かれた質問だ。

ナイル川の水をたくさん飲んでしまったから、

 必ずエジプトへ戻ってきてしまうの。」


エジプトにある諺の1つに

ナイル川の水を飲んだら必ずその地へ戻る」

というものがある。

「なぜ、アラビア語が上手いの?」

という質問にもこの諺で返すと、掴みはOKだ。

「きっと前世はエジプト人だったのね!」

となる。


私がエジプトへボランティアとして赴任して

約1週間後に〝アラブ革命〝が始まった。

すぐにエジプトへも波及して、みるみるうちに私たちの生活にも影響が出始めた。

外国人の家が狙われているらしい、

政府が革命をとめるためにインターネットを遮断するらしい、

水がとめられるらしいなど、

たくさんの噂が広まり始めて、実際にインターネットが繋がらなくなった時は焦った。


今まで何十年と日本で育ってきて、

身近に戦争やテロなどの争いを感じたことがなかったが、

国が変わっていく瞬間を肌で感じた。

そんな中、やはりこのままエジプトにいるのは危険だとなり、

私たちは一般の方々がチャーター機で帰国後、

民間機で日本へ帰国することになった。


その頃には政情も少し落ち着き始めていたが、

毎晩、デモ隊と軍隊が衝突し、

発砲音が聞こえ、催涙ガスが撒かれる状況は続いていた。


そんな中、同期の1人がどうしても自宅へ大事なマグカップを取りに行きたいと

みんなで暮らしていた避難所を飛び出した。

「危ないから諦めよう。」

朝から何度も同期で説得したが、彼女の気持ちを変えることが難しかった。

であれば、1番土地勘があり、語学ができる私が自宅まで付き添うとなっていたが、

彼女は私に迷惑をかけないようにと

私がトイレへ行っている間に飛び出したのだ。

慌てて追いかけ、一緒にタクシーで彼女の自宅へ向かった。


道中、彼女にはマグカップを取ったら直ぐに戻ること、

他の荷物は諦めることを約束してもらった。

アラブ革命が本格化して初めての外出だったので、

タクシーから見える景色は新鮮でありながらも、

とてもショックだった。


エジプトではタクシーの窓が壊れていることも少なくないため、

気にしていなかったが、その日乗ったタクシーの窓は開いていた。

タクシーの運転手さんが

「ここで昨晩、デモ隊と軍隊が衝突して、

 催涙ガスが撒かれたんだ。」

と話した後、何秒か後には私たち2人共身体中が痒くなり始めた。

特に肌が見えていた部分がものすごく痒い。

急いで窓を閉めてもらった。


無事にマグカップを回収し、避難所へ戻ると直ぐに身体を洗った。

催涙ガスを浴びると身体が痒くなると噂で聞いていたが本当だった。

痒くて痒くてたまらなかった。


しばらく日本で待機生活をした後、私たちは再びエジプトへ戻った。

エジプトはアラブ革命を経て変わった。

1番感動したことは、旧政府が倒れた後、

革命の中心地だったタハリール広場

エジプト人自身で清掃したことだ。

エジプトでは、残念ながら、ポイ捨てする人をよく見かけた。

反対に、ゴミ拾いをしている人を見かけることはまれだった。

自分達の国だから、自分達の手で未来を切り開くんだというパワーを感じた。


エジプトでボランティア活動を始めると

アラブ革命の負の面もたくさん感じた。

1つは観光客が減ったことだ。

それでも、エジプト人は前向きだった。

そんな彼らを見ていて感じたのは

どれだけエジプトが大好きでも、私は日本人だということだった。


選挙が行われた時、職場では〝誰に投票するか?〝という話題で持ちきりだった。

残念ながら、私にはエジプトでの選挙権がない。

「私はエジプトが大好きだけど、選挙へ行けない。

 だから、みんな、しっかり考えて、私の分も必ず投票へ行ってね。」

と、選挙の度に話した。


日本へ帰国する日が近づいてきて、

私は帰国後の進路についてよく考えるようになった。

〝エジプトで働いてみたい!〝と元々は強く思っていたが、

私が決めたのは日本で働くことだった。

エジプトでエジプト人達の愛国心に触れて、

『私も日本のために微力ながら頑張って働こう!』

と思ったからだ。

結果、エジプトへの恩返しになれば、尚良いと思った。


エジプトから帰国して、早くも8年経った。

〝日本で頑張る!〝と決めたものの

辛くて、逃げ出したいと思う時もあった。

そんな時はエジプトでの写真を見て、初心を思い出す。

アラブ革命はわたしにとっても大きなきっかけになったことは間違いない。