「にこにこ」心書vol.65

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父「お母さん、わざわざ▲▲してくれたんや。

  ありがとう。」

母「今まで「わざわざありがとう。」なんて言われたことあった?」


ある朝の我が家での一コマだ。

ここ1ヶ月、母は猛烈にイライラしている。

理由はわかっている。わたしだ。


反対に父の機嫌は悪くない。

それがまた母のイライラを助長しているみたいだ。


4月から役職が変わり、日々、いろいろなことを考える。

役職が変わることは内示が出ていたので、

数ヶ月前から知っていたが、

辞令を受けるまでは何が起きるかは分からないと思っていた。


とは言え、

『私にできることってなんだろう?』

と、部下達と同行する中で考えることが増えた。  


『若いし、女性だし、舐められてはいけないとずっと思ってきたが、

 果たして、それで良いのか?』

ふと、そんなことを考えていた時に

最初の両親の会話が目の前でされ、はっと気付かされた。


『私はいつも難しい顔をしている気がする。

 私が出来ることは基本的に〝にこにこ〝していることかもしれない。』


もちろん、謝罪に伺う際ににこにこはおかしいが、

普段の同行時はにこにこしていたって良いじゃないか、

と気付かされた。


そんなある日、部下の取引先の社長が

「◯◯さんがずっとにこにこ聞いてくれるから、

 要らんことしゃべり過ぎたわ!」

とおっしゃってくださった。

社長のお話が面白かったのだが、

それでもなんだか嬉しかった。


にこにこすることは難しくないようで、

心掛けないとなかなかできない。

眉間に皺を寄せないよう、にこにこ過ごしたい。

「告白」心書vol.64

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エジプトのジャスミン畑でフィールドワークをしていた際、

ジャスミン畑のオーナーの次男坊(アハマド)には仲良くしてもらった。

当時、彼は5歳だった。


「◯◯、僕は◯◯のことが大好きだから、

 いつまでもここに居てもらいたいんだ。

 だから、、、。」


アハマドがジャスミン畑に水やりをしながら、

わたしに話しかけてきた。

わたしはてっきり

「僕と結婚して欲しい。」

と続くと思った。


「僕のお父さんと結婚して、3階に住んで欲しい。」


アハマドの家は3階建てで、1階はおじいちゃん家族、

2階にアハマド家族が住んでいた。

そして、3階には誰も住んでいなかった。


文化の違いは子どもとの会話にも現れると実感した。

「ダメだよ。

 わたしにはお付き合いしている人がいるでしょ?

 残念ながら、アハマドのお父さんとは結婚できないよ。」

そう話すと、彼は寂しそうな顔をした。


約5年後、アハマドに再会した際にこの話をしたら、

彼ははにかんだ笑顔をわたしに向けてくれた。


゛好きな人には傍にいて欲しい゛

彼のそんな気持ちは方法はどうであれ、

わたしにしっかり届いたことは忘れない。

「白髪」心書vol.63

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「悩んでますなんて思われたらかっこ悪い。」

だから、精一杯、虚勢を張るんだけど、

悩んでない訳ではないと、

マツコデラックスさんがテレビで話していた。


最近、「白髪が目立つようになった」とご指摘を頂くことが増えた。

正直、いっそのこと、白髪染めしようかと思った。

でも染めずにいたのは、弱っているところを見せたら、

私を攻撃したい人は満足できるのかなと考えたからだ。

私の辛さをわかって欲しかった訳ではない。


そんな時、私が

「染めるか、染めないか、

周りにどう思われているか、思われたいか、

すごく悩んでいるのではないか?」

と、ご指摘頂くことがあり、思わず泣きそうになってしまった。


悩んでいないように精一杯見せていても

気付いてくれる人がいてくれることに

気付かせてもらったと考えれば、

白髪が増えたことも悪くないかな?と思える。

「期待する」心書vol.62

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「部下に期待することをやめてはいけません。

 そんな日がきたら、それは◯◯さんがリーダーであることを諦めたということです。」


ある日、当時入社したてだった部下が出社しなかった。

定時直前にメールで連絡があり、

体調不良で休みたいということだった。

それから2時間後、当社本社に退職代行から電話があった。


色々と家庭環境にも不安がある部下だった。

最後に出社した週末に帰宅する時

仕事後にアルバイト時代の知り合いとご飯へ行く

と楽しそうに話していたので、

まさか次の月曜日に出社しないとは気づけなかった。

指導をお願いしていた課長も

週末に帰社が遅れたこともあり、

飲み会へ向かう彼とビルの1階で会った際、

「月曜日に見積書をみて頂けませんか?」

と言われたとのことで、全く想像もしなかったとのことだった。

しかし、現実は変わらない。

彼は退職代行をつかって退職した。


しばらく、みんな、私にすごく気を遣ってくれていたと思う。

確かに、私はかなり疲れていた。

『何がいけなかったのか?』

と考えないはずはない。


彼が出社しなかった当日、約束していたアポは

幸か不幸か、私がずっと可愛がってもらっている取引先だった。

なので、私が訪問し、状況説明の上、謝罪した。

正式に担当替えをして約3週間。

再度、担当替えをすることについて

取引先へ説明する毎日で、慌ただしく、ゆっくり考えずに済んでいた。


そんなある日、当時の上司とゆっくり話す機会があり、

上司から最初の言葉をかけてもらった。

約3年前だ。


最近またこの言葉を思い出し、自分の気持ちを奮い立たせる。

部下の1人の物忘れが酷くなってきて、

脳の検査を受けることになったからだ。

色々なミスが毎日判明し、今までなら叱ることもできたが、

『病気かもしれないんだから。』

と思うと、叱れない自分がいる。

『期待しても良いんだろうか?』

と、頭をよぎる時がどうしてもある。

そんな時、最初の言葉を思い出し、

部下にとって働き続けられる職場をつくることが

私の大事な仕事の1つだったと思い直す。


明日もミスのフォローに取引先へ伺う。

私がやれることは全部やろうと思う。

「手」心書vol.61

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「旦那は子どもが欲しいんだと思う。

 だって病院へもう行かなくて良いとは言わないから。」

パン屋さんに並びながら、そう言った瞬間、

友人は泣き出してしまった。


きっと彼女が1番言って欲しい言葉を言えるのは旦那さんだけだ。

目の前で静かに泣く彼女を、コロナで抱き締めることも躊躇われ、

違う方向を見て、静かに待つことしか出来なかった。

自分は無力だと痛感した。


ここ最近、1人の政治家の発言がきっかけで

女性活躍とは?という流れがまたつくられた気がする。

私自身も

〝女性なのに〝

〝女性だから〝

という言葉を今まで数えきれないぐらい頂いてきた。

波風立たせたくないので、

「いやいや。そんなことないです。」

「ラッキーです。」

とか、上手く切り抜けてこれた方だと思う。

でも、世の中、私みたいなタイプばかりではない。


友人が色んなバランスを崩したきっかけは職場の上司がきっかけだった。

「妊活するなら、職場のみんなに公表するように。

 休みを取ってみんなに迷惑をかけるんだから当たり前だと思うよ。」

そう上司に言われたらしい。

彼女は上場企業に勤めていて、同じく30代半ばで順調に係長に昇格した。

課長に昇格できるのは最短でも40代半ば。

ひと区切り着いたこともあり、

係長になる可能性が出てきたタイミングで上司に

「昇格するタイミングで部署替えの可能性があるなら、

 妊活したいと思っているので、申し送りして頂きたいです。」

と伝えたようだ。


彼女の中では、必ず授かるとも限らないので、

職場のみんなにプライベートなことを言いたくないという気持ちが強かったようだ。

上司にはその旨を伝えたが、受け入れてもらえず、

みんなに言わないなら、休みの取得に融通はきかないとなったようだ。

彼女の心が折れてしまった。


きっと女性だけが妊活をするという世の中ではなくなったと思う。

妊活だけではなく、介護や自分の健康で休む人も男女関わらずいると思う。

みんなにとって働きやすい、未来が描ける会社や社会でないと

せっかく頑張ろうと思っている人、頑張ってきた人のココロを死なせてしまう。

彼女と別れた後、そんなことを考えながら、帰宅した。


もし、自分の職場に彼女と同じ立場の人がいたら、

私はすっと手を差し出せる人間でありたい。

私もいつか手を差し出される側になるかもしれない。

その時は手を差し出してくれる人がいる職場にしたいと改めて思った。

「おふくろの味」心書vol.60

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東京出張時におば(母の従兄弟)の家に寄った。

日帰りだったので、おばからきた

「晩御飯食べる時間ある?」

というメールに

「日帰りなので難しいと思う。」

と返した。


おばは森永ヒ素ミルク事件の被害者で

その後遺症でカラダが思うように動かない。

わたしが20代の頃はまだ元気で、

おばと美術館へ行ったり、買い物へ行ったりした思い出がある。

また、おばの手料理はどれも美味しくて、

いつもどんなご飯が出てくるか楽しみだった。


昨年5月におじが癌で亡くなり、

49日の前日にお邪魔してから随分と空いてしまった。

コロナ前は東京出張の度に少し顔を出したりもできたが、

今は出張もほとんどなく、コロナもあり、なかなか会えない。


夕方、仕事を終えて、おばの家に着くと良いかおりがした。

おばが1日かけてご飯を準備してくれていたのだ。

久しぶりのおばの手料理に疲れが吹っ飛ぶのを感じた。

「◯◯ちゃんに褒めてもらいたくて、

 1日かけて準備したの。

 味は大丈夫かしら?」

と、ご飯を頬張るわたしに、おばが尋ねた。

「おばちゃんの手料理がまた食べられるなんて、

 正直考えていなかった。

 おじちゃんが生きていた頃、

 「次来た時、なに食べたい?」

 って聞かれたことあったよね。

 「おばちゃんのシュウマイが久しぶりに食べたい。」

 と答えたら、おばちゃんに作り方を聞きながら準備して待ってくれていた。

 おじちゃんの作ってくれたシュウマイも美味しかった。

 でも、やっぱりおばちゃんのシュウマイとは違う味やった。

 またおばちゃんのシュウマイが食べられると思ったら嬉しい。」


おばは嬉しそうな顔をして、

最近ハマって作っている料理の話をしてくれた。

おばが嬉しそうな顔をしてくれると

わたしも嬉しい気持ちになる。


東京の母の味が戻ってきてくれて嬉しい。

亡くなったおじにも食べてもらいたい。

「伝わる」心書vol.59

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「相手を思って話した内容なら

 どれだけ行き違いがあったとしても  

 いつかは気持ちが届くはず。

 そんな時は絶対に守りに入らないこと。

 少しでも保身から何かを言えば、

 それ以外が全て相手を思った内容でも

 一瞬で意味がなくなる。

 とにかく、自分の立場は考えず、

 相手のことを思って話しなさい。」


顧問の1人からもらったアドバイスだ。

当時、私は裁判を抱えていた。

当社が仕入先を訴えたのだが、

証拠集めなどがうまくいかず、

最終的には示談することになった。

裁判の過程で、事件当初の営業本部長が退職したり、

仕入先との交渉を全面的に担っていた部長が逃げ腰になったりで、

結局は販売先の担当であった私が矢面に立つことになった。


販売先の社長に経緯を説明に伺う際、

顧問からもう一度、最初の話をもらった。

どう考えても当社の対応が甘かった。

結果、お得意先様には多大なるご迷惑をおかけした。


「あんたは今日何か決めて帰らなあかんのか?」

ことの経緯を説明した後、得意先の社長に聞かれた。

「そういうことではないのですが、

 しかしながら御社にこれ以上ご迷惑もお掛け出来ません。

 悔しいことに私には権限はありません。

 しかしながら、御社のご希望をお聞かせ頂けましたら、

 担当として、最大限努力いたします。」

私は自分の思いを伝えた。


「わしはこの件には触れない。

 だから、あんたがいつか「これでどうですか?」って言いにくる日を待つ。」

社長からそう言って頂いた時、

私はその責任の重さを感じたと同時に

拗れて、出禁になるんではないかと心配していた気持ちが少し楽になった。


「あんたにとって良い経験になったやろ?

 詰めが甘いところがあったのも事実や。

 でも、この失敗を必ず活かすんやで。」

社長はそうおっしゃって、私に対して全く声を荒げられなかった。


帰り道、顧問から

「あなたが自分の立場を顧みず、

 「社長の希望を教えて欲しい!」

 と言った気持ちが届いたんや。」

と言葉をもらった。


その日以来、今まで以上に相手の立場を思って話すように心がけている。

また、いつか社長に恩返しできる日まで

私は絶対に諦めないと決めている。