「初盆」心書vol.84
夫が仕事で不在の週末、わたしは急ぎ足で歩いていた。
わたしにはルーティンがある。
自宅の最寄り駅へ向かっていると、
ふと、消え入るような小さな声が聞こえてきた気がした。
「すみません。」
振り返ると年配の女性が座り込む勢いでしゃがみこんでいた。
わたしは急いでいたが、その女性がいるところまで戻った。
話を聞くと病院へ向かっていたが、道を間違えて、迷子になっていたようであった。
時間も時間であったため、
『もう診療時間には間に合わないのでは?』
と思ったが、取り敢えず、向かっていた病院へ電話した。
電話している最中、その女性は暑さと疲れから倒れ込んでしまった。
結局、病院には間に合わないとなり、
病院から娘さんへ電話してくれることになった。
女性を近くのコインランドリーの中へ連れて行き、
そこで娘さんを待つように伝えた。
『はて、間に合わない!急がなくては。』
と思いながら、時計をみたら、もう、予定から大幅に遅れていることに気が付いた。
何秒か考えた結果、わたしはタクシーを探した。
近くに休憩中のタクシーを見つけたので、
事情を話し、タクシーをまわしてもらった。
女性はふらふらになりながら、歩き始めていた。
急いで呼び止め、タクシーに乗せた。
体調不良からか、その女性は住所が直ぐに答えられなかったが、
荷物の中に郵便物があり、そこから自宅がわかった。
無事に女性を自宅まで送り届け、
わたしはルーティンをこなすために出発した。
案の定、予定の送迎バスには全く間に合わなかったため、
市内バスでいつもの温泉にたどり着き、いつもより素早く入浴した。
そして、女性のことを思い出していた。
「知らない人にこんなに優しくしてもらったのは初めてです。
本当にありがとうございます。」
別れ際、涙目になっている女性からそうお礼の言葉を頂いた。
わたしはただ義母に似ている気がして、ほうっておくことができなかったのだ。
義両親は1年ほど前まで2人暮らしをしていた。
日に日に出来ないことが増え、周りに助けてもらって生活していたと想像する。
だからではないが、誰かの力になれたのなら、
まわりまわって、義母の力になれるかもしれないと思った。
そんなことを思いながら、温泉につかり、帰宅した。
義母が亡くなったのは、90歳の誕生日から約1ヶ月後だった。
90歳の誕生日にはわたし達夫婦も大阪から駆けつけ、孫も集まり、
義母はとても嬉しそうだった。
「◯◯ちゃん、△△ちゃん(夫のこと)をよろしくね。またね。」
と手を振ってくれたのが最後になってしまった。
義母は強い人だったとみんな口を揃えて言う。
軍の上層部の家に生まれたことから、
養子に出され、養子先を転々としたと聞いた。
そんな義母はわたしの故郷に住んでいたことがあると話してくれた。
「初恋の人が住んでいて、、、。」
と、義母の初恋がわたしの故郷であったことを話してくれた時の
義父のすねた顔が忘れられない。
義父が亡くなって半年も待たず、
義母も逝ってしまい、この夏が義両親の初盆になった。
きっと義父は寂しかったのだと思っている。
お義母さん、もっと色々なことを教えてもらいたかったです。
お義父さんと仲良く、見守ってください。