「おじいちゃん」心書vol.15

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わたしにはおじいちゃんと呼んでいる人がいる。

おじいちゃんは勤め先の顧問を務めていた。

奥様の体調に異変があり、5年程前に引退した。

おじいちゃんは60歳を超えてから勤め先の社長にヘッドハンティングされて、

転職してきた優秀な営業マンだった。

血縁関係にはないが、仕事を引退してからはおじいちゃんと呼んでいる。


おじいちゃんとはほぼ毎日電話で話をする。

大体は通勤時間のどちらかで歩いている時に話をする。

話す内容は他愛もないことが多く、

最近は〝痴呆防止〝のために食べた物の確認から始まることがほとんどだ。


でも、仕事で悩んでいたりすると声でわかるらしく、

「あんたはあんた流でいきなはれ。

 途中で流派を変えたらややこしい。」

といつも言う。

また、私のことを

「あんたはジャンヌダルクであり、マザーテレサや。

 ジャンヌダルクばかりやと、人は離れていく。

 マザーテレサばかりやと、決めなあかん時に決められへん。

 でも、根はマザーテレサで優しいから悩むんや。」

といつもよく分からない言葉のチョイスで元気付けてくれる。


そんなおじいちゃんも今日で81歳だ。

今もおじいちゃんからは商売のイロハを背中で教えてもらっていると思っている。

近々、おじいちゃんの大好物である鰻を手土産にお家へお邪魔するつもりだ。

奥様に鰻は禁止されているが、年1回のこの鰻は許されている。

おじいちゃんの喜ぶ顔が目に浮かぶ。

いつまでもおじいちゃんには元気でいてもらいたい。